憧れのバレリーナのクラス
「バレエがうまい人に習いたい。」そりゃそうだ。。それは、なぜでしょう。
RADの教材に、
「17世紀ごろ、本来ダンスを学ぶというのは、教師(ダンシングマスター)から特定のダンスを習うものでした。」と記載してあります。
ダンシングマスターが、かつて踊ってきた踊り、もしくは熟知している踊りを教えていただくものだったから。(抜擢された日には、その人から振付を教わるのさ)
ブルノバレエでも昔からの振付のまんまの白鳥の湖、ドン・キホーテ、ジゼル、ショピニアーナなんかだと、
ディレクターではなく、おばあちゃん(=ダンシングマスター😅)が、いつもデーンとスタジオ正面に座っていらっしゃいました。
その後、18世紀にアグレッピ・ワガノワが、19世紀にRADが(RADは、当初チェケッティメソッドを使っていたらしいです。)
(バレエ学校での)シラバスに基づいた、順序立った教育というものを確立していきました。
日本では、義務教育中でほとんどの人が学ぶことができない小学4-5年生から始まるワガノワメソッド1年生、10歳以上で受検可能になるRADの専門課程。
ここで学ぶべきことを、先へ急いで、基礎をすっ飛ばして焦ってしまうと、後で取り返しがつかなくなります。
では、なぜ巷では、バレエの基礎を習えるバレエ教師の役目を重視せずに、バレエが上手く踊れる人に習おうとするのでしょう?
ふと
自分のことを思い出しました。
学生の頃、お世話になっていた地元のバレエ教室に、ゲストダンサーとして踊りに来ていた
モンのすごい美しいバレリーナの教室が
名古屋にあるときき、電車とバスを乗り継いで片道1時間半かけてクラスを受けに行くようになっていました。
10代後半ほぼ20代の頃の私は、
上手く踊れる人=上手く教えられる人 だと思っていました。
ですから、国際コンクールで銀賞をとった先生の踊りに憧れました。
その後、「ロシア人の先生に週1回習いに行っているだけなのに、うちの子の姿勢がよくなったんです。」とその教室を辞めた人がいて、
先生は、「週1回くらいでバレエがうまくなるわけないじゃない。」と、プリプリ憤慨していたことがありました。
今考えると、そのロシア人の先生は(バレエの姿勢から教える)基礎を重んじる先生(だから週1回でも変化が現れた)
当時の先生は、現役バレリーナでしたから、与えるアンシェヌマンは、超難解テクニックのレッスンでした。
だからそれをこなせるようになるために、毎日バレエを踊るのが当たり前、
週1回くらいバレエを習っていても上手くなるわけないじゃない。とおっしゃったのです。
私は、基礎のやり直しだったり、テクニックの強化だったり、
世界で活躍されていたバレエダンサーに教わったことが、今につながっていると思い、大変感謝しております。
ただし、
それは、基礎を固めなくてはいけないちいさな生徒さん向きのクラスではなかった。と、今はわかります。
RADでは、2歳半からのカリキュラムがありますが、
幼児期に学ぶべき36の基本動作や、心が豊かになる感受性を刺激する幸せなお話を表現して踊るという、
ちいさな生徒さんの心と体の成長を考慮した非常に楽しいものです。
留学先で信頼されるために必要とされたのは、
正しい基礎、クオリティの高いテクニック、そして豊かな表現力。
オーディションでは、難解なアンシェヌマンを素早く覚え再現する能力は必要になります。
プロになる寸前はこの練習は必要になるかな?と、思います。
17世紀に教師と呼ばれていた人と、教師資格を取得したバレエ教師の違いが、お解りいただけましたでしょうか?
